折鶴の会 2018年12月16日 響の会ピアノ教室

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ご挨拶から
初めまして。本HPまでお越し下さりどうもありがとうございます。
ブログを“本腰を入れて”再開するのは、育児日記代わりに書いていたころから早10年ぶり、と月日が流れました。
本ブログでは、基本的にはHPでご案内している活動記録を中心にしていきたいと考えておりますが、このたび最初だけ、ここに自分の想いに触れるところを書かせていただきます。

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自分のHP開設の決心をした時、一つには、戦争をくぐってきた母の想いを継ぐリレー役として、何度でもどこででも父から母から伝え聞いてきた戦争の話をくり返し発信していくことが私たちの世代の使命であって、この行動を継続できる場所とするだけでも、自分のホームの役割は意味があるのではないか、と考えました。
まさか、Blog第一声で平和への祈りに言及できるタイミングになる出来事と重なるとは、多くの人の魂に導かれているような身震いさえします。
12月16日は、実家のピアノ教室にて、去る10月に母が開催した「響の会 第53回ピアノ発表会」の反省会を兼ね、「折鶴の会のつどい」と称して、季節柄、クリスマス向きの曲も弾き合う集まりがありました。
高齢の母は、自身のピアノ教室発表会開催50周年を迎えたのを契機に、折鶴を折って広島平和記念資料館に寄付とともにお納めし、同時に周囲に向けてこれに賛同してくださる人の呼びかけを始めています。戦争生き残りの世代として、また、広島県出身者として、この年まで生き長らえてきて何もしていないことを恥じる、と言い、何ができるというわけではないけれど、孫たちを戦争に出すようなことは絶対避けなければならない、そのためには祈りを捧げていくしかない、と、昨年からは長崎原爆資料館にもお納めしています。
現在3年を経て、ピアノ教室の生徒さん中心に、ご近所から母の知り合いから、あっという間に今年お納めする千羽鶴が集まりました。この日の折鶴の会では鶴を20羽ずつ糸で繋いでいく作業で1セット作り終えました。
母の一家は、昭和時代に入ってからは広島県内の現在の府中市にあたる山間部に住まい、爆心地で台所の火を止めに行った母の伯母は倒壊した家屋の下敷きとなって亡くなり、軍人であった伯父は一週間ほどかけて歩いて母の家まで辿り着き、終戦の8月15日から数日経って亡くなったのだといいます。
父母から伝え聞く戦争の話の詳細はかつてのブログで紹介したことがありましたが、これからも折に触れて語り継いでいけたらと思っています。

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さて、昨年で当ピアノ教室も53周年を迎え、母のこのたゆまぬ営みのお陰で自分が音楽での新たな生きがいを見つけられたことは、本当に思いがけないことで、この上なく母への感謝の念でいっぱいです。

折鶴の会では、皆代わる代わる弾き合い、ある意味、次回の発表会に向けた人前練習のようなもの。
私は、翌日が依頼を受けての初めての訪問演奏日ということもあり、ほぼ予行練習のつもりで全プログラムを弾かせていただきました(詳細は2018/12/17のPerformanceをご参照)。さらに一曲、当日の念のための時間調整用にシューベルトのアヴェ・マリアも追加演奏しました。40分近く占領してごめんなさい。元々これだけを弾く予定だった『クリスマスメドレー』では気分盛り上がっていただけていたのだったらよいですが…。