演奏の極意、日々精進なり~名曲が最高の練習曲

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ピアノに時間を割くことができなかった最近まで長年やっていた独自練習法

前回のブログで触れた―『まだまだお伝えできるハノンの利用法、ハノン以外の利用法など』については後日また?

この曲を弾いてみたいな、こんな風に弾けたらいいな、という楽曲との出会いの機会なり具体的な目標なりを持てること自体が得難いものであって、誰もがそうした場面に引き合わせてもらえるものではないでしょう。そう思うと、ピアノを弾く環境に自然と恵まれている自身の幸運につくづく感謝せずにはいられない毎日です。

今でこそ音楽に向き合う時間をとることができる日常になりましたが、これまでの勉強漬け~仕事漬けの生活ではとても趣味にかまけてはおられず、1日に一度もピアノに触れる時間をとれないことはしばしば、数か月間全く離れてしまう時期もあれば、物理的に鍵盤楽器のないところで年単位に過ごした時期もありました。
タイトルの❝名曲が最高の練習曲❞とは、そのような状況にあってもやはり自分の中ではピアノをいつでもどこでも弾けるものだと捉えておきたい‼と心の片隅にある声に呼び覚まされて、ピアノを弾く意欲を取り戻すのに活用してきた自己暗示作戦です。

私にとってのピアノの名曲は、ショパン作曲バラード第4番ヘ短調 作品52です。バラード第1番と違って(失敬!)感情を表に出し過ぎない曲想で直観的に好みだとしか言いようがないのですが。しかもさりげないバリエーションで繊細な指の動きと指の強化の練習にも役立つし?と、こうした出会いができたらしめたものです。
自分にとってのこの名曲は、ピアノに触る暇がない時間が長く続いて少し時間がとれて再開する時や少しでもピアノに触る時間が取れる時に、指の動き具合を調べるバロメーター的存在でもありました。いきなり曲を弾いても、静から動への動きの展開が指に過度な負荷をかけずに済みそうだというのも魅力の一つです。同じ理由から幻想ポロネーズ変イ長調 作品61も練習曲代わりに使うことがありました。
といっても、バラード第4番についてはショパンが作曲した年齢になるべく近づけば少しは自分も曲が分かるようになるのではないかと思い、他のバラード曲と分けて30代に入るまで楽譜を開かず大事に取っておいた
ので、出会いから20年ほど待って待ち望んだ曲でもあります。

人それぞれ、生きていくうちに、何かしらのモノや人への想い、何かに情を注いで自分にしか分からない弱みか強みか、そうした存在になるものを得る瞬間があるかと思います。

バラード第4番に出会った10代の当時は、この難曲をいつか弾いてみたいという気持ちはあるものの、ピアニストを目指すわけでもないのに表現力が追い付かないまま挑戦することすらおこがましい、と端から思っていて、ある程度年齢を経てから向き合いたいとあたためていました。
そして、いつか自分なりに解釈できるようになったら、と思いさらに10年近く経った頃にセルゲイ・ドレンスキー教授の公開講座を聴講しないかと母から誘われ、そこでこのバラード第4番が講座の題材の一つにありました。

ドレンスキー教授といえば、日本でブーニン・フィーバーを巻き起こした「1985年第11回ショパン国際ピアノコンクール」優勝者スタニスラフ・ブーニンの指導者としても重用され、翌年にピティナ(一般社団法人全日本ピアノ指導者協会)主催の公開講座が巣鴨で開催された際にも聴講させてもらい、これが2度目の機会でした。

https://www.henle.de/en/detail/?Title=Ballades_863

その時の使用楽譜(現在市販の楽譜をご参照、手元にあるエワルド・ツィマーマン編の1976年版は絶版?)に、コメントで拾えた内容を鉛筆で書き込みしたこの楽譜が自分の師となり、30代になり発表会で弾かせてもらう勇気にもつながりました。

その後、幾多の苦難に遭遇した時にこのバラード第4番を弾いては自分を奮い立たせて活力にしてきました。
特に、子連れで海外赴任していた時期の現場の仕事の難しさと重圧は長い仕事人生の中でも極めて筆舌に尽くしがたく(誤解のないように・・・大きな重圧があったからこそ当時の上司・同僚・仕事相手は同じ釜の飯を食べる同志のような存在で、その地で出会った多くの友人たちも含めて自分にとっては一生の宝です)—
持っていった電子ピアノに触る時間を割くことがほとんどできない分、ストレスを受けとめる役割を果たしてくれたのが、人生の酸いも甘いも知り尽くしているようなこのバラード第4番です。
自分にとってのこの最高の名曲を味わい深く、もうしばらく弾いていけたらと願っています。